I-2 クロノロジーの利点

【クロノロジーの利点】
 たとえば『形而上学叙説』の書かれた1686年について、その年の最初の二ヶ月を下に引用して通覧してみよう。

1686?初めVindicatio Justitiae Divinae et Libertatis humanae, sumta ex consideratione Ideae integrae quam Deus de re creabili habet.Ak6.4B,1528 Grua371
1686?初め-86.02.11までDiscours de métaphysique. Ak6.4B,1529-88 G4,427-63 FC:NLO,330-78 Erdmann816-33 LeRoy37-76 独仏HerrPS1,56-172(Metaphysische Abhandlung) 独訳Gold168-226(同)Buche2,135-88(同) 英Loem303-328(Discourse on Metaphysics)Wiener290-345(同) PhEssays35-68(同) WooPT54-89) ParkPW18-47((同、部分) 河野『叙説』3-100(形而上学叙説)『叙説』文庫63-1618(同) 著作集8,137-2118(同) 名著375-4348(同) 増永283-3038(同) 中公クラ49-1468(同)


1686.01初めLeibniz, Johann Friedrichからライプニッツあて Ak1.4,706
1686.01.01 Pöhler, Zachariasからライプニッツへ [Zellerfeld] Ak3.4,252
1686.01.02 Brandshagen, Jobst Dietrichからライプニッツあて Grundtより Ak1.4,249-50
1686.01.03 Linsen, Hansからライプニッツへ [Zellerfeld] Ak3.4,253
1686.01.03 Ernst, Landgraf von Hessen-Rheinfels辺境伯爵からライプニッツあて Rheinfelsより Ak1.4,395-96
省略
1686?01.11 ライプニッツからWitzendorf, Hieronymus vonあて Ak1.4,252
1686?01.11 Linsen, Hansからライプニッツへ [Zellerfeld] Ak3.4,255-57
1686.01.11 Essken(Esken, Escken, Eschen), Christianからライプニッツあて Osterodaより Ak1.4,252-53
1686.01.12 ライプニッツからPapebroch, Daniel, S.J.あてHarzよりAk1.4,544-45
省略
1686.01.14 ライプニッツからMagliabechi, AntonioあてHannoverよりAk1.4,545-46 Dut5,79-80
1686.01.15 ライプニッツからLeibniz, Johann Friedrichあて Ak1.4,707
1686.01.16 ライプニッツからDu Cange, Charles du Fresne, sieurあて Zellerfeldより Ak1.4,546-48
1686?01.16 ライプニッツからJustel, Henriあて Ak1.4,548-50
1686.01.17 Hugo, Ludolf(ph)からライプニッツあて Hannoverより Ak1.4,254
省略
1686.01.26 Linsen, Hansからライプニッツへ [Clausthal] Ak3.4,261
1686.01.26 - (?)からライプニッツへ [Zellerfeld] Ak3.4,260
1686.01.30 ライプニッツからErnst, Landgraf von Hessen-Rheinfels辺境伯爵あて Ak1.4,396-98
1686.01.31 Ernst, Landgraf von Hessen-Rheinfels辺境伯爵からライプニッツあて Ak1.4,398
1686.01? ライプニッツからErnst, Landgraf von Hessen-Rheinfels辺境伯爵あて Ak1.4,398
1686.01? Brevis demonstratio erroris memorabilis Cartesii. Acta Erud.掲載(3月号) Ak6.4C,2027-30 GM6,117-19 Dut3,180-82 Ravier94 Loem296-298 独訳Gold61-65 Buche1,246-50 仏Peyroux25 著作集3,386-90(自然法則に関するデカルトおよびその他の学者たちの顕著な誤謬についての簡潔な証明─この自然法則に基づいて彼らは同一の運動量が常に神によって保存されると主張するとともに、この法則を機械学的な事がらにおいて乱用している) 添付Loem298-301 独訳Buche1,250-55 著作集3,390-95(補遺)
1686?01 Hentze, Johann Arendからライプニッツあて Ak1.4,255
1686?01 ライプニッツからSpener, Philipp Jakobあて Ak1.4,551-53
省略
1686.02.11 ライプニッツからErnst, Landgraf von Hessen-Rheinfels辺境伯爵あてAk1.4,399 G2,11 LeRoy79 独訳Gold251-52著作集8,216-17 河野『叙説』書簡3-4 『叙説』文庫183-84
添付Le sommaire des articles du discours de métaphysique. G2,12-14 FC:NLO,206-9 LeRoy80-82 著作集8,217-22 河野『叙説』書簡5-11 『叙説』文庫189-94
省略
1686.02.27 ライプニッツからBrosseau, Christopheあて Zellerfeldより Ak1.4,558-59
1686.02.27 ライプニッツからDu Cange, Charles du Fresne, sieurあて ZellerfeldよりAk1.4,559-61
1686.02.27 ライプニッツからMabillon, Jean, O.S.B.へ Ak1.4,561-64
1686.02.27 Mencke, Ottoからライプニッツあて Leipzigより Ak1.4,564-65
1686.02.28 ライプニッツからDamaideno, Teodoroあて Zellerfeldより Ak1.4,565-74
1686.02.28 ライプニッツからCorfey, Gerhardあて Ak1.4,257
 項目数は二ヶ月で63項目である(ここでは半分を収録して、残りを省略している。全部が必要な場合は、本文の当該箇所を参照のこと。)。そのうち、単独の著作もしくは執筆物が3件、@Vindicatio.....、ADiscours de métaphysique、BBrevis demonstratio....。
 書簡が60件、そのうちライプニッツからの発信のものが14件、残りは受信件数。ライプニッツの出した書簡のうち、上掲のPapebroch あての手紙が Harz(鉱山)から発信されたものであったり、また Zellerfeld から、というように発信地がライプニッツ等の手によって明らかなものがある。その他の項目については、発信地が不確かなためその記載はない。(執筆者自身によって日付と発信地が記されていないもののうち、発信地について、前後の交信からまず間違いないと推定できる場合には、 [ ]で地名を挿入した場合がある。)
 ‘1686.02.11 ライプニッツからErnst, Landgraf von Hessen-Rheinfels辺境伯爵あて’については、これを多くの研究者が重視するため(A『形而上学叙説』の各章の概要が添付された手紙であり、その後 Ernst伯爵を介しながら、A・アルノーとの書簡論争が始まる)、いくつもの版(デュタン版、ゲルハルト版等)があり、また邦訳をはじめ翻訳も多いことを示している。二人の間の交信は、ここに引用している二ヶ月間だけでも6件、この書簡の前にもすでに4件あることが分かる。
 また、交信の発信地名に Zellerfeld と Clausthal が散見される。これら二つが Harz 鉱山に近い町であることから、ライプニッツ等がこの時期にハルツ鉱山に関係していることが推測される。
 書簡ではなく単独の執筆物の@はわずか1ページの分量だが、標題から、神の正義と人間の自由をイデア(創造のありうる現実存在について神のもつところの)の把握に基づいて考察するという、1710年公刊の『弁神論』の構想がそこには窺われ、またそれが『形而上学叙説』の執筆とほぼ軌を一にしていることが分かる。
 「イデア」については、読者は1686年以前のライプニッツの書いたものの中から‘idea’(他、ideis, idée 等)を検索してみることになる。すると、1677秋? の‘Quid sit Idea.’やライプツィヒ学報に寄稿された‘1684夏-11 Meditationes de cognitione,veritate et ideis.’(後年、ライプニッツがしばしば言及する)等、イデアをテーマにした書き物がいくつかあることが容易に分かろう。
 また、1686年の年表から、ライプニッツ自らが「この著作で私はみごとな進展をみた」と記した論理学書‘Generales Inquisitiones de Analysi Notionum et Veritatum.’も、上に引用した部分のすぐ後(春から年末)の時期に位置していることが検索によって分かる。イデアとこの論理学書の標題にある‘notio’の間には重要な重なりがある。
 さらに、Bはデカルト哲学の批判であり、『形而上学叙説』の執筆時期はこの問題をも踏まえていたことも分かる。Bと共にAの『形而上学叙説』が近世哲学を(デカルトを近世哲学の父とみなすことが前提となる)根本から吟味にかける著作であることが予想されるはずである。
 アカデミー版をはじめ多くの版の編集はライプニッツの執筆物を分野別・問題別に分類した上で、版によっては一人の交信相手をまとめて、クロノロジカルに並べるのが通例である。その種の枠を外して、ここにあるようにすべてをクロノロジカルに並べ直してみると、問題相互のつながり、異種の交信者間の問題のつながりが見えてくることがある。詳細は本文内容と読者の関心にまかせるが、このクロノロジーにおいて、多くの版に分散している諸項目が、もしくは同じ版においても分散している諸項目が、クロノロジカルに一覧される形で年表が展開している。
 ひいては、並列される諸部分がライプニッツの生涯の全体的ないわば物語・筋(常に永遠を見つめながら)の中に位置づけられるとき、それら羅列に見える背後には、それらのつながりを可能にするライプニッツ自身という一つの本質的連続体があるのであり、見えているのはその連続体の諸部分である、ということでもある。
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